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2009年10月23日 (金)

自衛隊観艦式 予行2 観閲付属部隊に乗る

我がMST-463うらが は号令ラッパ「出航よーい!出航!」の後、大湊音楽隊が飛行甲板で演奏する軍艦マーチにのり、横須賀・吉倉桟橋を出航しました。


南極観測船しらせ(除籍)がポツンと出航を見守ってくれます。


海を征く、我が”艨艟(もうどう)”


後に付いた護衛艦は昨年7月27日のブログ『護衛艦と蘭陵王』http://nagano-gagaku-kai.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_5db8.htmlへのリンクで新潟県直江津港でお世話になった DE-229あぶくま です。


試験艦あすか。近くで見れてうれしいっす。


後ろに 潜水艦救難艦ちはや が付いて、いよいよ部隊の編成が整ってきました。


SH-60ヘリが艦隊の周りをバンバン飛んで、映画『トラ!トラ!トラ!』のオープニングみたいです。


受閲部隊キター!


観閲部隊と観閲付属部隊の間を抜けていきます。

イージス艦あしがら


さわかぜ


ひゅうが

観閲部隊に登舷礼をしているのが分かります。

潜水艦ひりゅう


補給艦 ましゅう

これもでかいですね。13,500tあります。ひゅうがに次ぐ大きさでしょうか。

輸送艦おおすみ


ブイーンと音を立てて、LCACが続きます。


ミサイル艇 くまたか
こんな小さいフネでよく立っていられますね。


いよいよ展示航空部隊と展示艦艇部隊です。
残念ながら写真はこれまでです。後はビデオに収めました。
P3C対潜哨戒機の落とす爆弾が、ズシーン!ズシーン!と鈍く船底に響きました。

観閲式が終わり帰路に着きます。


武装展示のない本艦では、大湊音楽隊の方々が皆さんを楽しませてくれました。


先に 観閲艦くらま が桟橋についていました。


イージス艦も帰ってきました。


海上自衛隊をはじめ、自衛官の皆様お疲れ様でした。
われわれ民間人の相手を、いやな顔一つせずお付き合いいただいてありがとうございました。

明治大帝の思し召しで始まった日本の観艦式。政治が安定しない現在、次回はどうなるのでしょうか?

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自衛隊観艦式 予行2 観閲付属部隊に乗るまで

横須賀に着くとすぐに艦船が見えます。

駐車場から外に出ると目の前に おやしお型潜水艦が・・・。


そうりゅう型・はるしお型潜水艦の向こうには米軍のイージス艦がいます。


ど肝を抜かれて公園の向こうを見るとイージス艦が。


旧海軍の慰霊・頌彰碑がひっそりと置かれているヴェルニー公園を横切ると、戦中の横須賀港の様子を話しているおじいさんが居ました。

横須賀は軍港の町なんですね。

戦艦・巡洋艦が大きな船体を横須賀港に休めている様子を若い御身内に話しているようでした。


出航する艦船を見送るヴェルニー公園。この公園ににまつわるお話は色々あるようです。


横須賀駅は、今日の観艦式に乗船する人々で賑やかになって来ました。
自衛隊の方は、案内係、整理誘導で大変です。


か・・海軍さんがいました。

立派なお髭をたくわえられた高級参謀です。
昭和20年に海軍は無くなったと思っていたのですが・・・・・、お勤めご苦労様です。 (`Д´)ゞキリッー!!

では、海上自衛隊横須賀地方総監部に入り、吉倉桟橋に向います。


歓迎のアーチが掲げられています。


おお、門に・・・。

21日の自衛艦隊司令部では、正門の写真を撮らせてもらえなかったんですよ。

おわ、おわ、フネがいっぱい!


これも自衛艦・・・・?


今回、乗船する掃海母艦 うらが はフネがでかいんですよ。エヘへ。

一緒に並ぶ掃海母艦 うらが と ぶんご。


いやー、舷側が高い!

隣に並ぶ自衛艦がよく見えます。
手前から DD-125さわゆき DD-105いなづま DDH-178あしがら です。


米海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦ラッセンの向こうには、ヘリ搭載護衛艦DDH-181ひゅうが が見えます。
やはりでかい。


音楽隊の軍艦マーチの演奏に次々と出向していきます。

「このフネは、最後に出て行って、最初に帰ってて来るんだよ。」
隣のおじさんが教えてくれたので、船内を見て廻りました。

うらが神社です。神札は走水神社です。
(21日のはたかぜは諏訪神社でした。)
航海の安全をお守りください。


この広いブリッジ。他の護衛艦では考えられません。


勤務に精励される海軍軍人さんは、周りにいる民間人に会釈を交わされながら、寸暇を惜しんで立ってパンをお食べになっておりました。 (`Д´)ゞ ケイレー!!


観閲艦 DDH-144くらまが軍艦マーチと共に出航しました。

次は我々の番です。

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2009年10月21日 (水)

自衛隊観艦式 受謁部隊に乗る

観艦式展示予行が行われました。

天皇陛下が御践祚(せんそ)遊ばされて二十年の奉祝行事でもあります。

自衛隊長野地連の方に引率されて、横須賀の「自衛艦隊司令部」と書かれた営門を入り、船越岸壁に到着したのは夜明け前でした。



私達が乗艦した護衛艦DDG-171 はたかぜ


DDG-170さわかぜ を引き連れて出港です。
その後ろにはなんと、最新鋭艦DDH-181ひゅうが です。


ヘリ空母ではなくヘリ搭載護衛艦ですが、全通式の甲板を持つ船体はでかいです。さすが、自衛隊最大の艦艇です。


スターリング式推進機関を持つ最新鋭の潜水艦 SS-501そうりゅう を追い越していきます。船尾のX舵が特徴です。


受謁部隊、我が はたかぜ の任務は観閲部隊に対して祝砲を発射することです。

イージス艦 DDG-173こんごうの先導に続き、相模湾を進みます。


さわかぜ神社様、航海安全で無事に任務が果たせますように。

船乗りは神様を大切にします。

観閲部隊、キター!


祝砲発射!5インチ砲が砲口を開きます。(空砲ですが)


後部の5インチ砲も発射!


後続のさわかぜも祝砲を撃ちます。


観閲部隊行っちゃった。


帰りの航路です。
観閲艦 DDH-144くらま。

本来は 陛下がお召しになられるんでは・・・・、誰かがつぶやいていました。
25日の本番に内閣総理大臣は来ないそうです。

美しい旭日旗。自衛艦旗と言うそうです。


無事に入港です。はたかぜの皆様お世話になりました。


制服がやはり似合うT山さん。かっこいいです。


長野地連の皆様、引率ありがとうございました。

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2009年8月27日 (木)

平成二十一年 富士総合火力演習

昨年8月23日の記事に続いて2回目の富士総合火力演習です。
平日なのですが人では大変多いです。八時の時点でスタンド席とシートの最前列は埋まっていました。


仕方ないので一番右端へ。マスコミ関とは逆の席ですので中央で行っている展示がほとんど見えません。
草に隠れて展開する戦車や特科や普通科の隊員がまるで見えません。

それでも天気がよくご機嫌です。背景の富士山がよく見えます。

展示訓練の特科の自走砲が待機しています。


82式指揮通信車


203ミリ自走榴弾砲


87式砲側弾薬車
99式155ミリ自走榴弾砲


これから先はビデオに夢中になってしまい、写真はあまりません。

なんと言っても眼前でぶっ放す戦車砲の迫力がこの演習の一番の目玉でしょう。

74式戦車が

戦車砲を撃てば

衝撃で写真はぶれぶれ。


90式戦車も目の前で暴れまくります。


どんなに車体を動かしても、砲身は目標から外れません。


74式のヂーゼルととエンジンの音が違いますなー。


ツアーの悲しさで、演習終了後の最後の展示が見れません。

日本の兵隊さんがいました。


兵隊さんとは失礼しました。
週番の腕章が目に入らぬか。
少尉殿でした。

昭和19年の南方服だそうです。

後ろの自衛隊員。「関わらないように、そーと行こうー。」


何故か武装親衛隊が。
ウラルの東で拾われたバードルです。


サイゴンは陥落しました。

写真を撮らせていただいてありがとうございました。

途中わざわざ駆けつけてくださったK先輩、ご馳走をありがとうございました。
ビデオ撮影に夢中でお別れのご挨拶がそこそこになってしまい失礼しました。



展示のヘリが着陸した頃に演習場を後にしました。

天気がよく日焼けしました。

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2009年4月29日 (水)

日光より懐かしい友人が来ました

小田切国見の春祭りで山にいたら突然電話がありました。「善光寺に向かっているけど、渋滞でどうすればいい?」
いやー懐かしい。日光東照宮のM君ではないですか。
ご開帳の善光寺では朝から県外ナンバーの車で大渋滞です。善光寺周辺は駐車場が不足しているのです。
抜け道を教えて、湯福神社に車を駐車するように伝えました。

山ではしっかり飲まされてしまった私。M君に電話をすると、もう川中島の古戦場跡にいるといいます。

松代で落ち合うことになりました。一緒に真田の武家屋敷を見学していると、土蔵つくりの蔵にお琴体験の看板が。なんとなく入ってしまいました。

「M君は楽筝やるんだっけ?」「いや僕は東遊の和琴だよ。」
これを聞いたお琴体験のボランティアの女性が、「すごーい!和琴てどんなものですか?」と身を乗り出してきました。松代にも松代雅楽と言うものがあります。藩楽であった時代の楽譜があるそうです。「私たちは東儀○樹さんに習っているの!!」「・・・どの東儀さんですか?」
東照宮は宮内庁の方が行かれています。二人で顔を見合わせてしまいました。
ちなみにM君は笙をやっています。

日光の楽しい話に花が咲きました。授与所の裏には巫女さん用のコタツがあったこと、ドテラを着ていたことなど笑いあいました。

M君と別れ、酔っている私は家に帰って寝てしまいました。
目が覚めてNHKの伊賀忍者の番組を見ていると、神宮文庫から資料を出してきたのは、伊勢神宮のI氏でした。おおーまた世話になりますね。

連れ合いが携帯電話のニュース配信を見せてくれました。
「城南宮で曲水の宴」
京都のT君のところです。

ゴールデンウィークを迎え、全国の友人が頑張っている姿を見る機会が増えるでしょうね。

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2009年2月 8日 (日)

自衛隊ふれあいコンサートと善光寺灯明まつり

今年も早速、自衛隊関係のイベントに行きました。
県民文化会会館にて、長野市防衛協会と長野商工会議所主催のコンサートがありました。
陸上自衛隊東部方面音楽隊の皆さんが演奏をされます。


会場は来年入隊する方の激励の意味もあるそうですが、大勢の人が集まりました。
意外な知り合いとお会いしたり、老若男女いろいろな人がいます。
ブースもありました。
何やらの応募をしたら、女子自衛官のカレンダーをもらえました。ヤッター!


演奏の編成はやはり音楽隊なんだなと思うものです。
司会の方のソフトの語り口で、和やかに演奏は進みました。
アニメソング特集は物まねもあって、とても盛り上がっていました。
(休憩時間にビールを飲みに行ったのは内緒です。)

最後はやはり県歌「信濃の国」です。

善光寺灯明まつりは今日で2日目です。
こちらも大勢の方がいました。
本堂は赤と青。


経蔵は緑色です。


三門は


仁王門。
長野市で開催された冬季オリンピックを意識して、五輪の旗の五色で照らしています。


参道には切り絵灯籠が並べられます。


月が綺麗な夜でした。

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2008年10月12日 (日)

平成20年自衛隊航空観閲式事前公開

最近は自衛隊に縁があるのか、平成20年の自衛隊航空観閲式の事前公開に行くことになりました。今年は海上・陸上・航空の三自衛隊を見学したことになります。宮内庁の雅楽演奏会は、まったくかすりもしませんでした。
場所は茨城県の百里基地です。
入り口では空港並みの厳重なチェック体制です。


TOKUさんはマンガの『ファントム無頼』が大好き何ですっけ?
ホイっ!204飛行隊    こっちかな?305飛行隊
  
神田と栗原はいるでしょうか?

航空自衛隊の音楽隊です。


観閲式なので三自衛隊が行進します。飛行機がいっぱいです。


厳粛な式典です。
国歌演奏の後、慰霊飛行がありました。たまたまいただいた慰霊飛行の画像です。編隊の1機が慰霊のために急上昇します。


ブルーインパルスの展示飛行です。見事なダイヤモンド。


下方に空中開花しています。


2機が低空ですれ違います。2機とも背面飛行です。


等間隔のスモーク


3000メートルまで急上昇


私が座った観覧席です。


あっという間に帰る時間となりました。帰り道、飛行機も帰るところです。

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2008年8月27日 (水)

東山魁夷展

長野県立美術館にある東山魁夷館では、東山魁夷生誕百年を記念して特別展が催されました。
最近は吉永小百合さんのテレビのコマーシャルで白馬と湖の絵が紹介されて、その画風からも親しみ易いと思います。昭和を代表する日本画家です。

私としては大嘗祭の大饗で披露される悠紀地方の風俗歌屏風を製作されたことが印象深いです。

天皇の一世一代の祭りである大嘗祭で、悠基の国・主基の国は、鹿の骨を焼く忌卜で点定されます。今回は悠基田は秋田県、主基田は大分県でした。
悠基国の風俗舞・主基国の風俗舞は宮内庁楽部の方が作舞されたと聞いています。

東山魁夷は東宮御所の壁画も描かれていますし、宮内庁所蔵の絵画も今回公開されます。否が応でも期待が高まります。

特別展の目玉は鑑真和上の唐招提寺御影堂の屏風絵です。


美学校時代、ドイツ留学、戦後直後の不遇。その中で代表作『残照』が出てきます。日本画家としての立場をを不動のものとする『道』などに圧倒されます。

第6展示場まであるのですが、実は第2展示場でグロッキー気味。信州とドイツをイメージした喫茶店まで展示場と化していました。
ここでは幼稚園の頃から注文は抹茶アイスに決めています。
元気を出して第5展示場。
ありました!唐招提寺の障壁画。

御影堂のセットが組んであります。
高麗縁の大紋の京畳が敷かれ、そこに御影堂の間が作られており、表側に鑑真和上の故郷『揚州薫風』が、内側には波を越えてたどり着いた、青々とした日本の海岸の『濤声』が・・・・・・。

鑑真和上は天平時代、遣唐使の時代に、日本の僧の要請により来日を試みるが6回目にしてやっと渡来に成功した、それまで10年が過ぎて失明しても日本にこられた、と歴史漫画でもよく読んできたものです。東山魁夷もこの絵画に10年を費やしたといいます。

この天平時代は遣唐使の吉備真備が唐より雅楽の学理書を持ってきたり、多くの唐楽が伝えられ、婆羅門僧正・仏哲が林邑楽を伝えた時代です。東大寺の開眼法要にはさまざまな雅楽・伎楽が華やかにされたそうで、その時の楽器・道具が正倉院にあるといいます。
鑑真和上は東大寺では孝謙天皇の勅により、聖武上皇を始め、多くの戒壇を授けられたそうです。

雅楽が花開いた一つの時代に心を寄せる展示会でした。

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