« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月29日 (水)

日光より懐かしい友人が来ました

小田切国見の春祭りで山にいたら突然電話がありました。「善光寺に向かっているけど、渋滞でどうすればいい?」
いやー懐かしい。日光東照宮のM君ではないですか。
ご開帳の善光寺では朝から県外ナンバーの車で大渋滞です。善光寺周辺は駐車場が不足しているのです。
抜け道を教えて、湯福神社に車を駐車するように伝えました。

山ではしっかり飲まされてしまった私。M君に電話をすると、もう川中島の古戦場跡にいるといいます。

松代で落ち合うことになりました。一緒に真田の武家屋敷を見学していると、土蔵つくりの蔵にお琴体験の看板が。なんとなく入ってしまいました。

「M君は楽筝やるんだっけ?」「いや僕は東遊の和琴だよ。」
これを聞いたお琴体験のボランティアの女性が、「すごーい!和琴てどんなものですか?」と身を乗り出してきました。松代にも松代雅楽と言うものがあります。藩楽であった時代の楽譜があるそうです。「私たちは東儀○樹さんに習っているの!!」「・・・どの東儀さんですか?」
東照宮は宮内庁の方が行かれています。二人で顔を見合わせてしまいました。
ちなみにM君は笙をやっています。

日光の楽しい話に花が咲きました。授与所の裏には巫女さん用のコタツがあったこと、ドテラを着ていたことなど笑いあいました。

M君と別れ、酔っている私は家に帰って寝てしまいました。
目が覚めてNHKの伊賀忍者の番組を見ていると、神宮文庫から資料を出してきたのは、伊勢神宮のI氏でした。おおーまた世話になりますね。

連れ合いが携帯電話のニュース配信を見せてくれました。
「城南宮で曲水の宴」
京都のT君のところです。

ゴールデンウィークを迎え、全国の友人が頑張っている姿を見る機会が増えるでしょうね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年4月28日 (火)

豊栄舞の最終練習

蚊里田神社の巫女さんのお稽古は今日で6回目で、最後になります。先週は私の都合で欠席して、我が長野雅楽会舞姫部のSAKUちゃん達に指導してもらいました。

入場と退場の仕方を練習をして、四人舞を二組でお稽古をしました。

もう4回のお稽古をした成果があったのでしょうか、少し直すととても良くなります。
視線の位置を変えるだけで舞いやすくなります。どれだけ合理的に舞が出来ているのか理解できて来ました。
「話す言葉が、通じるようになって来た。」のでしょう。

他の子がお稽古中でも、自分で練習をするように積極的になってきました。思春期真っ盛りの中学2年生も小声で質問してくるようになりました。「自分がしっかりしなければ!」と自覚が出てきたみたいです。
とても嬉しい変化ですが、今日でお稽古は最終と思えば残念な気持ちになります。(5月5日の蚊里田神社のお祭りが終わっても、もっと続けてくれればいいのに・・・・。)

巫女装束の着装はお母さんも一緒に参加してもらいます。

舞衣である千早を着ければ、お稽古で注意された舞姿がわかってきます。二手に分かれて、お互いに手の位置や視線の向け方を見合いました。どれだけ舞の印象が変わるのか納得したようです。

さすが女の子です。巫女装束を着れば、みんなシャンとしています。

とっくにお稽古時間の2時間が過ぎていますが、「装束を着て舞いたーい!☆」

目線と顔の動きが変わってきました。大きく舞えます。

参入音声の腕の位置も変わりました。

指も下がりますし、体重移動も出来てきました。

短時間で良く出来ました。私の指導力不足が申し訳なります。

皆さん自信を持って頑張ってくださいね。

3時間を越えるお稽古になってしまいました。お疲れ様でした。皆さん家に早く帰って休んでください・・。

突然みんなが戻ってきました。「ど、どうしたの?」
「ジュース飲ませてください。」
そういえば休憩もしなかったよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月27日 (月)

浪速神楽 剣ノ舞のお稽古

今日の巫女舞のお稽古は浪速神楽の剣ノ舞です。
5月2日の戸隠神社では4人の巫女さんの舞ってもらいます。

剣ノ舞は危険も考えられますので、剣の取り扱いには気を使います。

まずは、正面を向いて式神楽から。

眉毛が剣の歯に映るように、目の高さに上げてください。


式神楽を舞ってみます。


手は、まあるく、まあるく。浪速神楽は大阪弁のように、まあるいの。


それじゃ、剣を抜いて道行きから最後まで。


眉毛が全て映るように剣を動かして。舞が大きくなります。


では、四人揃って最初から。


ゆっくりと。お臍より上に上げないで。


4人とも止まる場所では揃えてください。


次は、寒い寒い、と連発していたYUKIちゃんが抜けて、M美ちゃんが入ります。

視線を落とさないで。
真っ直ぐ前を見ます。

休憩。お菓子を食べるよ。


はい、最後に一回舞いますよ。


先週まで花剣のお稽古を良く頑張ってくれたからでしょうか、始めて剣ノ舞のお稽古をするM美ちゃんも良く出来ました。
今日は、人と合わせることと、視線を下に落とさないことをお稽古しました。
皆さん良く出来ので、5月2日の戸隠神社での巫女舞奉納が楽しみだね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月26日 (日)

結婚式のお色直しで雅楽

結婚式の披露宴で新婦さんがお色直しで退出している時間に雅楽を演奏してくださいと、長野市内のホテルから依頼を受けました。

午後4時からの披露宴ですので4時50分ぐらいが演奏開始時間になるとのことでした。

長野雅楽会から女性2名と、諏訪から強力な助っ人のM女史がホテルに伺いました。

和室の控え室を用意していただけました。
演奏前に少し練習です。

鶏徳は付け所が怪しくなりそうなのでパスをしたそうです。

時間が押して5時半からの演奏になったそうです。
越天楽、五常楽急、陪臚、皇麞急など演奏しました。

「どんな人だったの?」と聞いたら、「お坊さんだった。新郎さんのお客さんはみんなお坊さんだったよ。」とのこと。
住職様の結婚式だったのですね。
どおりで雅楽が呼ばれたと思います。上品な結婚式だったのでしょう。
どこの住職さんだったのでしょうか?
善光寺さんの住職はは御開帳で結婚式どころではないすよね。

どうかお幸せに。

ホテル犀北館さん、お世話になりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月25日 (土)

雅楽は大勢がいいですね。

雅楽演奏が忙しくなる今年の5月。

長野雅楽会では例年のw君の蚊里田神社、信濃招魂社での奏楽の他、善光寺御開帳中日庭儀、戸隠神社式年祭など演奏の機会が多くなりました。

今日のお稽古は三管の笙、篳篥、龍笛の人が集まりました。

道楽のために丸くなって平調のお稽古をします。

演奏も三人立て位になると、とても迫力が出ます。
道楽で演奏するのは、越天楽、五常楽急、陪臚が無難のようです。

五月二日に戸隠で演奏をする蘭陵王と剣ノ舞の練習もしました。

当日は助っ人の方も各地より来てくれます。

五月二日午後1時30分より戸隠神社中社で演奏をします。見に来てくださいね。



何回も練習をしました。お疲れ様でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月24日 (金)

巫女さん、大きくなりました。

4ヶ月ぶりに浅野神社舞姫会の浦安舞お稽古です。

舞姫のみんな大きくなりました。
お稽古は今年で4年目です。
始めた当時、小学二年生は五年生に、幼稚園生は三年生になりました。
なっちゃんの妹が新しく浦安舞の仲間入りをしました。今日から6人です。



小学校五年生といえば、浦安舞が舞われた昭和十五年、紀元二千六百年に想定された年齢と思います。
二月のお稽古の時に、当雅楽会所属の四年生の舞姫さんが、先生から「小さいのに良く扇を廻しますね。」と褒めらたので、大きくなった浅野の舞姫さんにも期待して公民館に向いました。



みんな堂々と舞が出来るようになりました。


もっと舞姿が綺麗になるように、何も持たないでお稽古をしました。


みんなで合わせる姿に、お迎えに来たお母さん方も驚いていました。
また頑張りましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

迦陵頻・納曽利・蘭陵王

善光寺御開帳で賑やかな門前ですが、私達の雅楽のお稽古場である、すぐ隣の湯福神社は静かです。
今日はタッキーと連れともうお一方と龍笛のお稽古です。
何からお稽古を・・・・。

迦陵頻急の龍笛のお稽古から始めました。
笙は少し前に流行ったナベアツの「サンッ!」で盛り上がっていたのですが、龍笛もこんなにキレが必要のかと痛感しました。どうしてもお尻が長くなってしまいます。
林邑乱序を始めますが、一人で吹くと下手だナーと情けない・・・・・・。折る手を考えるとヘタレになります。違う世界に行ってしまいます。
でも三人いると何とか。
迦陵頻の一通りを龍笛で吹きました。

笛を龍笛から高麗笛に持ち替え、気持ちも入れ替えて納曽利です。
唱歌から始めました。
音程がなかなか決まりません。
いざ高麗笛を吹きますと何か合わない・・・・。
太鼓の拍子をしていたのですが、結局、納曽利破は拍子を4つに取り直して解決しました。
高麗小乱声は個人で解決するしかないですね。

昼食の時間になったので、御開帳で込み合う善光寺門前の蕎麦屋に向いました。幸い空いてる時間に食事が出来ました。もちろん信州蕎麦ですが、カツ丼まで食べてしまいお腹がいっぱいです。

午後は腹ごなしとは何ですが、迦陵頻の舞のお稽古をしました。

二人舞のやり方を決めて最初から通して舞のお稽古をしました。
最初は要領を得なかったのですが、繰り返しているうちに何とか分かりかけた様です。

汗をかいたあと、すぐに次のお稽古です。5月2日の戸隠神社では蘭陵王をしなければなりません。始めてみるとなんか太鼓の拍子がおかしい。
一人が舞いましたが、これでは陵王乱序も出来ません。

去年のビデオで打ち物を確認しました。


忘れてしまいますよね。よかったビデオを撮っておいて。
いい拍子であれば舞も進みます。


いっぱいお稽古をしました。今日の雅楽のお稽古はここまでにしました。

私は楽琵琶は練習がぜんぜんできていなかったので、今日はみんながお稽古をスルーしてくれて助かりました。自分で練習していないだけですが。

汗をかいたり、冷えたりで、ストーブを点けるほど風の冷たい日でした。

さて、私はこれから豊野町浅野の浦安舞のお稽古に出掛けます。
あっという間に時間が無くなってしまったので、片付けお願いをして湯福神社社務所を後にしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月20日 (月)

善光寺さくら祭りに参加

第3回善光寺さくら祭りに参加しました。

楽人お方が急に来れなくなったり、連れ合いの父親が亡くなるなど、演奏は只でさえギリギリの人数が減り、参加することすら危ぶまれましたが、昨日の雅楽のお稽古の特訓により何とかすることが出来ました。

会場である城山公園の隣の神社庁が控え室となっています。
巫女さんはみんなで着替えをします。



悠久の舞の舞姫さんが初めて着ける前天冠。着ける位置が気になるようです。





低学年の舞姫さんが見ています。


開始前に巫女舞をする舞姫さんで記念撮影です。


城山公園の噴水前が、演奏会場です。
昨年より大きくなった舞台は理想的な大きさです。

NBS長野放送の菰田アナウンサーより雅楽と巫女舞についてインタビューされました。


SAKUちゃんもRちゃんもハキハキ答えます。


蘭陵王が出来なくなったので、急遽差し替えた雅楽演奏です。
平調の音取と越天楽にしました。


4年生による浪速神楽、花剣の入場です。


四人が向き合い位置に着きました。


式神楽から始まります。


道行が始まります。




さあ切り込みです。


早神楽を舞って、花剣は終了です。


よく出来ました。


次は悠久の舞です。
衣装にきれいの声が上がりました。


楽人は人数が厳しいので残念ながら篳篥のO田氏を急遽、太鼓と歌に代えました。

四人で廻るところです。


四人が揃っています。


最後に廻るところ。


とても華やかな悠久の舞でした。
ご覧になっている方から多くの拍手をいただけました。


巫女さんの舞は拍手喝さいでした。

しかし、野外の奏楽は怖いですね。
音が室内のように響かないので自分の音がわからなくなります。
鞨鼓・太鼓などの打ち物と楽筝にも助けられました。

また、急遽唱歌になったO田氏は大変だったと思います。唱歌は何回も歌いこんでいないときついですね。

皆さんの協力で何とか演奏をすることが出来ました。ありがとうございました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月19日 (日)

義父が亡くなりました

17日の早朝にかねてから病気療養中の義父が無くなりました。
前日には連れ合いが義父に会いに行っていましたが、生命がもって1週間でしょうと言われたそうです。
看護士さんの勧めで家に帰してもらい、家の畳の上で亡くなることが出来ました。

小学校の教員でしたが、夏休みには受け持ちのクラスの生徒たちを家に呼び、生物の体験学習をして全員にカレーを振舞うなど教育者としても立派な方だったそうです。

生前は神社や寺の役員として大変熱心でした。秋葉講三峰講の講長もしたそうです。神棚仏壇の多い家で、東京の穴八幡には毎年正月に参拝していたそうです。
お寺では五重の勤めをして、生前に戒名を頂いています。
私も義父に請われて善光寺上人の福枡を届けたことがありました。

連れは18日は宮内庁の春の演奏会の鑑賞に行くはずでしたが、残念ながら適わないことになりました。

葬儀は20日になりました。
19日の善光寺さくら祭りで、私の連れ合いは蘭陵王の舞人でしたので、蘭陵王は中止にしました。
また、楽人の人数がギリギリですので、悠久の舞も取り止めなければならないかもしれません。
楽人の数を減らしても出来る、豊栄舞か浦安舞に急遽代えてもらうことにします。

17日は通夜の為に実家である駒ヶ根市に向いました。
通夜を勤行されました御住職は、浄土宗 安楽寺の方でした。昨年夏に東儀秀樹さんのコンサートを開いたお寺です。
義父の葬式に雅楽を奏楽したい、とお願いしまして、入退場に奏楽をすることになりました。

明けて18日は火葬です。

出棺まで時間があったので龍笛を吹きたくなり、家を出ました。
駒ヶ根市は「アルプスが二つ見える町」と言われます。眼前に南アルプスと中央アルプスの山が迫って見えます。その峻厳な美しさに圧倒されます。





龍笛を吹ける場所はないかと車を運転していると、すぐに大御食神社に至りました。この神域は日本武尊に由来して美女ガ森と言われています。
つい最近神楽殿が竣工しました。


近くの赤穂高校の校歌にもこの神社に祀られている小碓命(日本武尊)の事跡が歌われているそうです。


神社の側に車をおいて龍笛を吹きました。調子はお葬式にふさわしいかと思い盤渉調にしました。

午後に納棺をして火葬場に向かいました。
火葬前に奏楽をすることが出来ました。
また、隣が墓地だったので、火葬がすむまでの時間一人で墓前に向かい、南アルプスを眺めながら龍笛を吹くことにしました。
みたま安かれと火葬場と、御先祖の慰霊のため墓前で奏楽をすることが出来ました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月16日 (木)

地鎮祭で龍笛を吹く

久しぶりに地鎮祭で龍笛を吹く写真をアップします。
周りの季節の移ろいを見ながら龍笛を吹くののもいいものです。
桜は散り始めました。畑では桃の花が咲いていました。


本管は外に持ち歩くのは少し怖いので、持ち歩く管はプラ管にしています。
プラ管と言えども、長く吹いていると少しずつ吹きやすくなってくるような気がします。

5月9日の善光寺中日庭儀や5月13日、8日の戸隠神社式年祭の道楽は本管にしようと思います。
道楽ではプラ間が楽そうですが、やはり音色がいいのは本管と思います。

前回の戸隠神社式年遷宮の道楽では、笙の会員が坂道で転んでしまいました。
しかし、回転レシーブのように転がって、笙は無事!

でも、自分がそうなったらと思うと冷や汗が出ます。

落とさないように気をつけようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月14日 (火)

89式重擲弾筒

とある神社の脇にそれは置いてありました。
15戸ぐらいで護っている住宅地図にも名前が載っていない神社です。

何気なく手にしてしまいました。
でも、それは紛れも無く旧日本陸軍の弾薬の一種類と直感しました。

その時は地域の方に任せたつもりでしたが、気になって今日神社に行ってみるとまだその物体はありました。



すぐに警察に連絡をしました。

手にしてしまい、その物体の底には穴があったのを見てしまいしました。

手榴弾だろうか?でもひょっとして穴があったので、第2次世界大戦に、その名を境に馳せた日本陸軍の擲弾筒の弾薬ではないかと思っていました。

交番の警官ともっと上部組織の警官が現場に来ました。
第一発見者は私です。
色々と事情を聞かれました。
事情聴取は、以前賽銭泥棒を捕まえた時にも長時間掛かりましたので、ある程度は覚悟していました。
でも矛盾の無い聴取をするためか、事件性を疑っているのか、とても細かく繰り返しの質問です。

無線が入りました。
もっと細かく事情を問い合わせています。

現場の警官も、その上の組織に矛盾無く説明を求められるのか、と思いました。警察が警察を聴取する。

しかし、よく神社にある砲弾とかは無害化されて、100年以上前の日露戦争戦捷の頃から全国の神社に配られていました。

今日警官の方とお話していますと何か違和感があります。

もちろん法治国家にあって、銃刀法に忠実に職務を執行されている現場の尊敬すべき警察の方と思います。

・・・・・戦中において金属供出を免れた神社奉納の砲弾の類は、占領軍が来てから徹底的に隠されました。

占領軍が来てからは砲弾と言わず、県社、郷社と書かれた碑や、支那事変の碑は本より、慰霊顕彰のあらゆる碑は壊されました。
楠正成の縁の神社と言われる茨城県の後輩の神社では、占領軍が調べに来ると言うだけで楠公縁のご神宝は荒らされる前に全て燃やしてしまったと言いますし、その後でも神社はGIに荒らされました。実際全国各地の神社は占領軍に荒らされました。皆さんが知らない戦争の歴史です。

これは戦後のように神社を宗教のカテゴリーとするならば明確な国際法違反です。
しかし日本人は占領軍の暴虐が終わるまで耐えました。

占領軍の施策は軍国主義につながるものは全て禁止と言うことで、忠臣蔵をはじめ仇討ちの時代劇、歌舞伎なんかも上映禁止、演劇で刀を抜くのも禁止するほどでした。
宮内庁で楽長をされた東儀俊美先生の本とか読みますと、占領期か独立直後に北海道で宮内庁が雅楽講演会を行ったところ、久米舞で太刀を抜いた時に拍手喝采だったとあります。刀を抜くと言うことがいかに禁止されていたかがわかります。
もちろん当時は雅楽の理解は無く、宮中雅楽を「ミヤナカガラク」と言われたそうですが。それだけ言論思想は占領中に徹底的に弾圧されました。

どうも銃刀法の扱いが占領軍の時のまま続いているような違和感を持ちます。
もちろん戦前戦中のテロや、戦後の混乱、高度成長期の左翼ゲリラの横暴により法律は細かく進化したと思いますが・・・・。

この物体に神聖や生成があるとは言いませんが、この擲弾筒の砲弾は神棚に置かれていたと推測できます。
それは神棚に飾る幣束の串と土器とともに置かれていたからです。
これを置いた方は、先代が拝んでいた神棚の処分に困って、この神社に置いていったのでしょうか。

この砲弾を作った人もいるだろうし、この兵器で亡くなった方もいるでしょう。

砲弾の持ち主はこの兵器の厳しい訓練を受けたのかもしれません、また若き時の闊達な日々を思っていたのかもしれません。
戦地に散った戦友、交戦した敵を偲んで神棚に置いたのかもしれません。

擲弾筒は貧しい島国日本が、安価であることで開発したチープな兵器かもしれません。
でもそれは敵国に恐れられ、現在はグレネードランチャーとして世界中に使われている兵器の親です。
この知識がなぜ治安を預かる警察に無いのでしょうか?高度にわからない振りをしているだけかもしれませんが、敬意を払う人間もいますと言いたいだけです。

ネットでちょっと調べるだけでわかりますよね。

89式重擲弾筒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B9%9D%E5%BC%8F%E9%87%8D%E6%93%B2%E5%BC%BE%E7%AD%92

88式榴弾
http://cb1100f-1982.web.infoseek.co.jp/collection3_0a.htm

とても優れた兵器です。発射すると銅製のリンクの部分が膨らんでライフリングが出来ます。もちろん人殺しの道具であることもわかります。

素人が余計なことを推測してはいけないのでしょうが、発射の線条痕がありますし、推進薬の発射跡があります。雷管もありませんし、信管の安全索もありません。
訓練用に使ったものではないかと思われます。

願わくば、この榴弾が無害で、武器として再利用できない物とわかれば、神社に置いて長く平和と歴史の教育のためと、祖先を偲ぶよすがとして、置いて欲しいものです。

個人の物にすると散逸するでしょうし、行政によりポイと処分されないように祈るだけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月13日 (月)

豊栄舞と花剣・悠久舞のお稽古

蚊里田神社の巫女さんと長野雅楽会の舞姫部のお稽古をしました。

舞姫部の巫女さんには拝殿で、花剣と悠久舞のお稽古を自分たちだけでしてもらいました。
悠久の舞では、Mちゃんとなでしこさんの娘さんがいないので、小学4年のYちゃんとRちゃんが入っています。


蚊里田神社の巫女さんは一人お休みです。社務所の広間で豊栄舞のお稽古をします。


4回目です。四人舞いの最後までお稽古しましたが、まだ、心もとないです。

舞姫部の巫女さんにも合同で舞ってもらいました。


少しずつわかってくれたかな?


見学をしてもらいました。


花剣。


悠久の舞です。


これを見て蚊里田神社の巫女さんも積極的になってくれればうれしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月11日 (土)

湯福神社結婚式と花剣、悠久の舞、そして雅楽の練習

善光寺ご開帳で善光寺周辺の道は大渋滞です。
善光寺と湯福神社は通り一本違うので、喧騒には巻き込まれなく静かなのですが、道路はそうは行きません。

今日の結婚式に巫女さんが集まるのは大変でした。みんな親に送ってもらったのですが、途中で車を降りて歩いてきたそうです。
長野雅楽会の雅楽演奏のもと、KOHAちゃんとSAKUちゃんの巫女さんの三々九度も無事に進み、巫女舞はMちゃんに豊栄舞をしてもらいました。

厳粛な社殿で行いながら、雅楽と巫女舞の華やかな結婚式に参列した方は大喜びでした。
結婚式に出席した方は歩いて、湯福神社から善光寺参道を通って披露宴会場へ行きましたので、新郎新婦さんは善光寺お参りの方から、盛大な拍手とお祝いの言葉を掛けてもらったそうです。

さて、片づけが終わり、お昼をいただくと3時です。
3時からは、4年生が来て花剣のお稽古を始めます。
4月19日の善光寺さくら祭で披露しなければなりません。
経験の無い子が二人いますが、中学のMちゃんとKOHAちゃんSAKUちゃんのお陰で、だいぶまとまってきました。


お姉さん方には剣ノ舞をしてもらいました。


2時間頑張って、5時からは悠久舞のお稽古です。
なでしこさんの娘さんが来ました。
このお嬢さんのお陰で19日のさくら祭では、花剣と悠久の舞の二組の巫女舞が出来ます。


さる雅楽会から、前天冠四頭をお借りすることが出来ました。早速、装着してお稽古です。

前天冠には桜の花が挿してあります。


練習なので髪の毛は縛ってありません。

小忌衣は無いので、白の狩衣に紐を垂らしそれらしくします。


濃色の袴は断念して、巫女の緋袴です。


皆さん汗びっしょりです。
お迎えに来た親御さんは、装束を見てびっくりされていました。

お疲れ様でした。


さあ、8時からは雅楽のお稽古です。
笛チームは迦陵頻の舞と演奏のお稽古、笙のチームは楽筝のお稽古をします。

9時からは合奏です。
欄干を出してみました。


19日の桜祭のために、花剣、悠久の舞の演奏をします。
実は当日演奏する人は半分しかここにいません。皆さん忙しいのです。
ぎりぎりの人数ですが、蘭陵王の演奏もしました。


アー疲れた1日でした。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年4月10日 (金)

湯福神社結婚式の準備と、浅野神社舞姫会の顔合わせ

浅野神社舞姫会のお稽古もいよいよ始まるようになりました。今日は顔合わせ会です。
浅野に出かける前に明日の湯福神社結婚式の準備をしました。
善光寺ご開帳で大騒ぎですが、通りを一本入った湯福神社はとても静かです。

拝殿に机(案)と椅子(胡床)を並べます。


神主さん、巫女さんも胡床を使用します。
写真は新郎新婦席です。


親族の控え室を用意しました。


新婦さんのお部屋には大きな鏡と、姿見を置きました。


三々九度に使う雄蝶(提子)と雌蝶(長柄)、それと三つ重ねの朱盃です。


ここまで準備をして浅野に向かいました。

浅野では役員さん、お母さん、そして大きくなった舞姫さんたちがいました。
5年生と3年生になったら、ずいぶん大きくなったなあと感じました。
みんな恥ずかしがって写真を撮らせてくれません。


役員さん方は、浦安の舞の歌を覚えると張り切っておられました。
舞姫の皆さんまた宜しくね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 7日 (火)

豊栄舞のお稽古と結婚式の練習

5月5日に蚊里田神社に豊栄舞を奉納する女の子たち8名がお稽古に来ました。
本日で3回目のお稽古になります。
まだ、みんなが揃うようになりません。


そこに4月11日に湯福神社で結婚式があるので、巫女さんの練習にSAKUちゃんが早めに来ました。

蚊里田神社の巫女さんの前で、豊栄舞のお手本を見せてもらいます。


SAKUちゃんのおかげで、少しずつ揃ってきたので2番の舞と、四人舞いの説明まで進むことが出来ました。
ありがとうSAKUちゃん。


蚊里田神社の巫女さんが帰った後に、SAKUちゃんとKOHAちゃんとで、湯福神社結婚式の練習をしました。


短い時間しか練習できませんでしたが、あなた達なら大丈夫でしょう。
高校生が卒業してしまいましたが、この二人は頼りになります。


当日は雅楽と豊栄舞もします。よろしくね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 6日 (月)

花剣をお稽古しました。

今日の舞姫教室にはkohaちゃんが一番最初に来たので、4月19日のために装束を着けてみました。

長身のkohaちゃんには狩衣がちょうど似合うぐらいです。


遅れてきた舞姫さんは、なにやらノートに書き込むのが忙しいようです。
プロフィールを作っているみたいです。


最後に一番新しく入会したYOUちゃんが来てお稽古を開始しました。

19日のさくら祭には4年生が花剣を舞います。


畳に自分の位置の印にガムテープを張って、kohaちゃんとsakuちゃんが見守る中、式神楽から始めました。
Rちゃんに合わせて舞うことにしました。
Rちゃんは責任重大です。
Yちゃんも積極的にお稽古をしえいます。
何度も繰り返しているうちに、youちゃんもm美ちゃんもだんだん舞らしくなってきました。


youちゃん、M美ちゃん、もう少しで出来そうですね。


何回もやったので、あっという間に時間が終わってしまいました。

湯福神社の結婚式の練習は明日やりましょう。
高校生いなくなってしまったので、小学生に巫女さんをしてもらうことになりました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 4日 (土)

4月4日のお稽古

それぞれ分かれてお稽古です。
楽筝は二手に分かれてお稽古をしています。


蘭陵王を唱歌をしてあわせています。


蘭陵王の舞を確認しています。


みんなで合わせてみました。


4月19日の善光寺さくら祭では、浪速神楽「花剣」、神楽舞「悠久の舞」、舞楽「蘭陵王」を演奏することになりました。

今年は大きな舞台ですので、いっぱいに舞が出来そうです。
城山公園の噴水前で、12時から長野雅楽会が演奏します。
皆さん見に来てくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 3日 (金)

O氏の篳篥と久しぶりの合奏

今日は湯福神社の春季例祭で、祈年祭です。
長野のような寒冷の地では2月17日ではなく、春の例祭にあわせて祈年祭が行われます。

平日であることと、入学式など行事が多い日なので、雅楽会員は篳篥のO氏のみ参加です。
今日は巫女さんの舞の奉納も出来ませんでした。

道楽をする前にO氏に「篳篥貸して。」
オー鳴る、鳴る。喜んで篳篥の音を出してみました。
O氏に「吹いてよ。」とお願いすると、やっぱり音がぜんぜん違います。
余計なことはしないほうがいいですね。

O氏の篳篥を合わせて龍笛を吹くのは久しぶりです。
指揮者のいないのが雅楽ですので、拍子に気をつけながら演奏しました。

龍笛と篳篥の見せ場があるので、お互いの強弱を織り成すように演奏できればもっとよかったなと思いました。

道楽と神饌の献撤、玉串奉奠に奏楽をしました。
また、細かいところを合わせたいなと思いました。

今日は善光寺御開帳の回向柱が建てられた日でした。
回向柱建ての木遣りの声が神社まで聞こえてきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 2日 (木)

蘭陵王 湯福神社春季例祭宵宮祭

4月2日は長野雅楽会のお稽古の場所としてお世話になっている湯福神社の春季例祭の宵宮祭です。

参列は役員の総代さんと年番町だけですが、雅楽の奏楽と舞楽の奉納を行いました。

祭典前に拝殿をお借りしてお稽古です。
寒い日でしたので、笙は温めるのが大変だったのではなかったでしょうか?


hayasimotoさんもアメリカから帰ってきて早速笙を吹いています。


タッキーそれはプラ管じゃないの?
そうか今日は打ち物をするつもりで来たんだっけ?
太鼓をよろしくお願いします。


tokuさん、上向いて。
目だけが上になってしまいました。


W君、鞨鼓は任せた。


舞とあわせてみました。


蘭陵王じゃないの?
装束は?

・・・・・・・い、いやいやこれは練習ですから、ね・・・。


お稽古じゃなくて実際に奉納となるとやはり課題が出てきます。
お稽古では普通にやっていると思っていることが出来なかったりします。自分のものになってなかったと言うことでしょう。
幸い止まることなく、うまく(?)ごまかして(W)無事奉納できました。

打ち上げはhayasimotoさんのアメリカ土産のワインを持って、善光寺裏の「とんかつ健」へ。
安くておいしい店です。
あげチーズの盛り合わせが大好評でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 1日 (水)

装束を見て、長野雅楽会結成の初心に戻る

今年の春は、善光寺御開帳や戸隠神社式年祭など長野雅楽会が演奏する機会が多くあります。

W君に毎回小さい女の子用の巫女装束を借りているのですが、お洗濯に出したのと、毎回借りているのも悪いので、昔の装束を探してみました。40年以上前のものと思います。


千早です。生地が薄い・・・とても薄いです。
一応、菊花の柄は刷り物になっています。
何でこんない薄いんだろう。

袴。これも薄くて・・・・・あっー!しわくちゃになっています。不思議な花(?)の柄があります。

これは10年ほど前に私が染め直しました。
絞る時に、知らずに力任せに絞ってしまい、ボロボロになったものを縫いなしてもらいました。

謎の単(ひとえ)です。なぜ謎かって?
ものスゴーク薄くて、すぐにシワになってしまうんですよ。

しかし、これらの装束があったからこそ、10年前に35年ぶりに巫女舞が復活できたのですし、長野雅楽会を結成する契機になったのです。感謝しています。

現在長野雅楽会は直垂(ひただれ)を着て演奏することが多いのですが、雅楽を演奏を始めた10年前は何も無い状態でした。

箪笥を整理すると、何も無い時期に苦労して集めた装束が出てきました。
捨てようとする装束を必死にかき集めました。

紗の狩衣です。ほとんど昔の化繊ですからヨレヨレです。また、捨てるぐらいですから汚れが目立ちます。


同じく狩衣。化繊の物もありますが、正絹の物は余程使ったのか擦り切れています。

左の狩衣は茶の烏帽子とセットで土蔵から出てきました。何に使ったのでしょう?「所」と言う紋が入っています。

格衣です。直垂の上着の部分です。もう一つはいただく前に捨てられたしまって、悲しい思いをしたのを覚えています。


昔はホテルの結婚式場が盛んでしたので、使い古した白の狩衣も結構あります。

白の狩衣はお葬式の雅楽演奏で活躍しています。
右の紗の白の狩衣は、神主さんにとっては消耗品でしょうか?

烏帽子は裂けたりして一つとしてまともなものがありません。

雅楽会のほとんどの会員は、自分で烏帽子を買って持っています。
巫女舞で使おうかなと思っています。

なぜか二級神職の正服が。糸も生地も駄目で、苦労して縫い合わせてもらい、朝日舞に使用したことがあります。

これらの装束も長い年月、神様に仕えたのでしょう。
薄汚れて捨てられるところでした。
私たちがいただいた時はまさに宝のようでした。

今、私たちに長野雅楽会は楽器も揃ってきて、巫女さんの装束も充実してきていますが、結成当初は何も無く苦労した時期がありました。
一からやり出すころの初心に戻れた日でした。

そうだ!全国の神主さん、お坊さん、要らない装束が会ったら是非お譲りください。
集まったら、苦労している雅楽会にお配りしようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »